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いつかフォアグラが食べたい

ブログ初心者の大学四年生です。しろたん好き。常になにかに追われるもの。

息をすること、祈ること

こんにちは。

今日はあの東日本大震災から6年が経ちましたね。

私は東北出身と書きましたが、被災地民です。

私は生まれてから18年間、福島で育ちました。

あの日から、もう6年。

 

未だに震災の影響で苦しんでいる人たちは多い。

横浜での避難児童いじめや、埼玉での避難住民差別など、心が痛むことが多いです。

埼玉で新たに畑を作り、野菜を育て、売ることで生計を立てていた、福島県から避難した高齢者夫婦が『国の賠償金で作った畑だから』と手塩にかけて育てた野菜を勝手に持ち去られ、『いつまでここにいるの?』と近所の人から声をかけられるということがあったそうです。

 

また、福島県原発による避難の影響で亡くなった方が多く(避難を繰り返し、そのストレスによる体調不良などで亡くなった高齢者の方など)が多く、その数は約1300人にのぼります。

 

 

こういう話を聞くと、私は叫びだしたくなります。

怒りで、悲しみでいたたまれない気持ちになります。

しかし、私以上にそのような気持ちを抱えて生きている人が、何千何万といて、生きている。

 

高校生まで福島で暮らした私は、福島の外に飛び出してから、尚一層このようなことで心を痛めることが増えました。

 

福島で暮らしていた時と比べ、当たり前だが周りと震災に対しての思いの差がある。

 

 

いま目の前で話をしている大人は、きっとあの震災を知らない

いま横でスマホをいじっている人は、きっとこの虚しさを知らない

隣にいる愛しい人も、憧れた先輩も、きっとこの悔しさを知らない

 

『沿岸部にいる人はすぐに高台に逃げてください!あと◯秒で津波が来ます!早く逃げてください!』と繰り返すラジオの声を憶えている。

 

ガスと水がとまり、品薄で食べるものもなく、ガソリンも無く遠くに行くこともできず、兄弟で身を寄せ合って暖をとったのを覚えている。

余震のたびに母がすぐに飛んで来て、無事かどうかの確認に来たのを覚えている。

 

私の地域は電気だけは通ったため、原子力発電所の様子を写すテレビをぼーっと見つめていたのを覚えている。

 

家族が無事じゃなかったら、友人がもし無事じゃなかったら、近所のあの人が、どこかの誰かが、無事じゃなかったらどうしよう。

と考えた一方、

『私がこんなことを心配しなくちゃいけない日が来るなんて』と思ったことをよく覚えている。

 

母は、原発事故のニュースを見て泣いていた。

高校入学もまだだったのに、「もうここは危ないから、あなたは東京の大学に行ってね」と言ったのを覚えている。

 

それから6日後の私の高校の合格発表の日は、みぞれのような雪が降っていた。放射能を恐れてマスクをして姉と見に行った。

張り出された掲示板には、ちゃんと私の受験番号があって、声を出して喜んだ。

後から、その日が三月中もっとも放射能濃度が濃く、雪に混ざって県内に降り注いだ日だったと知った。

 

 

いろいろなことがあったけど、私が震災後三年間、福島で過ごした高校時代は、毎日が楽しくて、キラキラしていて、本当に幸せで、忘れられない大切な思い出です。

そこには切っても切り離せない、震災という存在がありました。

福島の中にいると、客観的な状況を知ることができず、私は震災のことを考えるのをやめていました。

 

 

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 (地元の風景です)

 

 

だから今、改めて東京から、被害にあわれた方々に、心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

そして同時に、いま生きていることに感謝します。

 

 

 

就職活動が終わったら、被災地支援をしようね、と高校時代の親友と約束ができました。

彼女も私と同様、東京に出て改めて震災を見直すことができたみたいです。

決意するのが遅くなって本当にごめんなさい。

でも絶対に、絶対にやります。

 

 

 

 

 

 

改めて、東日本大震災でお亡くなりになられたすべての方に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。