いつかフォアグラが食べたい

しろたん好き。常になにかに追われるもの。

セックスとは

またまた変なタイトルでごめんなさい……

これも、私が大学生になってからずーっと考えてきたことのひとつです。

 

そう、『セックスは汚い?』というものです。

 

私は昔からどうも、性を強調されるのがとても苦手です。

例えば、少女漫画などの、愛し合う2人が結ばれるシーン。

私もキュンキュンドキドキはしますが、昔からどうも『見てはいけないものを見ている』感覚があり、苦手です。

 

 

きっと誰しもが小さい頃は、

 

『性に関するもの』=『いけないもの』

 

という認識があったのではないでしょうか?

 

私はそれをまだ引きずっているお子ちゃまです。笑

 

大学生になると、高校生より性の問題が身近になるなぁ、と私は思いました。

(高校は共学でしたが、私は彼氏がいなかったので、性にはかなり無関心でした…。それでも性(=セックス)を意識するようなことはありませんでした。)

 

 

男女間の距離が近いことや、パートナーがすぐに見つかること、高校時代よりも自由で、行動範囲が広いために、そういったことを意識することが格段に増えました。

 

私も大学に入り、すぐに彼氏ができました。彼氏と2人きりで車で旅行に行くことがとても多かったために、そういうことを意識せざるを得ませんでした…。

 

しかし、当時付き合っていた相手は潔癖な人でしたので、そのような関係にはならず。

逆に性に対する過剰な押し付けがありました。

例えば、女性は女性らしく清楚であるべきで、生涯1人の人しか愛さないことが普通で、水商売をする人は人間として汚らわしいだとかなんとか。

立派な人でしたがそういうところの厳格さについていくことができませんでした。

 

私にとってやはり、『性=いけないもの』という考えが根付いてしまったのは、その人の影響も大きかったと思います。

 

 

なんだかんだありまして、自分もいざそのようなことを経験してからは、寛容になるばかりか、余計に周りの『性』に関して過剰になってしまいました。

 セックスを一つのコミュニケーションとして認めることができなかったためです。

 

 

そして、周りの人たちもセックスをしていることを考えると、嫌悪感を抱くことが増えました。

やはり、『セックスはいけないもの』という認識が強く、

友人が、私には絶対に見せない姿を見せている、彼氏の前では雌になっている、

などと思うと嫌悪感が湧きました。(もはやかなり失礼な妄想です。ほんとうにすみませんでした。笑)

 

行為は、人の生殖に必要不可欠なこと。

しかし、それとは関係なく、むやみやたらに人はセックスを求めることに嫌悪感を抱き、

 

(快感だけを伴うためだけのセックスって欲にまみれてるだけじゃん!欲深い人間なんて汚い!大学生なんてみんなそうじゃん!)

と思いました。

 

 ちょうどこの時期、周りの友人が彼氏に振られて何人もの異性と関係を持ったり、

パートナー以外の人との関係がやめられない…といった話をよく耳にしていたせいです。

 

そのうち、SNSにあがる友人のカップルフォトにも嫌悪感を感じるようになりました。

 

(この子もこんなに幸せそうで無垢そうな顔してやることやってるんだ…よくパートナーとの写真なんてあげられるな…想像しちゃうじゃん…)

とかなり気持ち悪い妄想をしていました。笑

人の顔見て想像するなって話ですが、真剣に悩んでいました。笑

 

 

そこからは、友人に会うことを避けたり、清いものに触れたくて教会に行ったり、

 

しかしそう考える一方で、ちゃっかり彼氏とはしてました。自分が汚いことをしていると感じるのは、あまり悪いことだと思いませんでしたし、彼のことが大好きだったので、彼の人肌を感じることは好きでした。ハグと同じ感じです。

(当初はセックスを、信頼関係を築くための特別なコミュニケーションだとはあまり考えていませんでした。)

 

 

ただ、自分はいいけれど、友人などのそのような姿を想像したくない、友人は綺麗なままでいてほしい、というエゴでした。

 

今思うと本当に、自分の中で悩み、自分の中で完結した、ただの自己満足です。

勝手に人をそんな理由で嫌悪するなら、自分はするなよって思います。本当にすみませんでした。

 

 

 

そんな時にふと、ゼミで出会ったのがディオニュソス教でした。

 

デュオニュソスについては、前に述べた通りです。↓

http://dorolooosa.hatenablog.com/entry/2017/02/17/124400

 

その時に、「人間の求めるエクスタシーってこんな考えもあるんだ」と衝撃を受けたのを覚えています。

快感を求めることで生きていることを実感する、神を感じられる、それは一種の狂気の象徴とも言える。

ディオニュソスの持つ二面性(生と死の象徴、古い神なのに常に新しい神として認知)、

 

それはセックスの持つ二面性(と言うと大げさですが、生殖という大事な儀式のはずなのに、けっこう軽んじられているのが現状ですよね。) に通じるところがあるなと思いました。

 

私はそれをきっかけに、研究テーマをディオニュソス教にしました。

 

 

 

それから私は、昔ほど過剰ではありませんが、

まだ性に関するものはすこし苦手です。

やっぱり他人のセックスは想像すると吐き気がしますし、みんながしてるものだと思うとすこし気持ちが悪くなってしまいます。

 

 

でも、私のこの思考はあまり正しくはない、ということも、分かっています。

 

いまはパートナーとの大事なコミュニケーションのひとつとしてセックスは欠かせないものだと思っていますが、どうして自分は良くて他人のはダメなんだろう、と考えてしまいます。

 

ここも改善するところだ!

 

 

きっといろいろな考え方があって、自分で割り切れるような考え方を見つけられるといいなと思っています。

はやくそんな考えに出会いたいし、他の人がどんな考えを持っているかを知りたいです。

 

という話でした。

 

こんな考えを残しておきたあと思ったのも、ブログを書き始めたきっかけです。笑