いつかフォアグラが食べたい

しろたん好き。常になにかに追われるもの。

子供に注意をしたそんな私は何様なのだろう、

出不精な私ですが、今週は毎日外出している。主にバイトがあるからなのだが、友人と会う機会があることはこんなにも心踊る(しかし体力がいる)

 

 

 

バイト終わりのぐったりとした状態で電車に乗って帰路に着いたときのはなし。

 

急行の通過待ちをするのにしばらく停車した電車に、小学生二人組が乗ってきた。

みたところ塾帰りであろうその二人組の男子児童のうち1人は、私以外ほとんど誰もいないその電車の車両で、座席に土足で登り、つり革にぶら下がり始めた。

 

「あ、」と思った。

 

私は子供が嫌いではないけど、苦手だ。私自身小生意気な子供だったと自覚があるが、変に知識がついて言葉を話すようになりはじめた子供は、生を受けてから甘やかされた環境しか体験していないために、公共の福祉よりも目前の誘惑に抗えない。

落ち着きがないのも好きじゃない。

 

目の前の小学生が電車の座席をピカピカの青紫のかっこいいスニーカーで踏みつけている。両手はつり革を握ってぶら下がる。

 

なんだかなぁと思ってじぃと見つめていると、おとなしく座っていた児童の1人と目があった。私の視線に気づいた彼は座席の上に立っている児童の膝を軽く叩いて制した。(私はイヤホンをしていたため会話はきこえなかった)

 

ああ、片方の子は多少周りの目が気になる子ではあるんだなぁとぼんやり思っていた。

 

電車が動き出すとしばらく大人しく座っていた2人児童。しかしやはり座席に立っていた方の子は、そわそわと落ち着きなく立ったり座ったりを繰り返しながら、片足を座席に乗せたり下ろしたり、はたまたきちんと座ってみせたり。

その様子をなんとなく音楽を聴きながらぼんやりとみつめていた。

 

注意しようか?

 

それだけが頭を巡っていた。

 

仮にも彼らが小学生でも、乗車率が100%の電車の中で、サラリーマンやマダムの中にいても同じように土足で座席に登るだろうか?

そんなことはしないはずだろう。

少なくとも小学校低学年の子には見えないし、夜の9時半過ぎに子供だけで塾から電車に乗って帰れるのだから、ある程度の知識と分別はつくはずなのに。

 

この車両には、疲れ切ってぐったりと座席の端の席にもたれかかる女子大生と

酒によって寝ているサラリーマン、そしてこの小学生だけだ。

 

少なくとも、起きている唯一の大人、若い大学生である私の前では彼ら(正確に言うと座席の上に立っていたのは1人だが)は世間一般に悪いこと、いけないとされることはしてもいいのだと判断したのだろう。

 

あー、注意しようかどうしようか。

考えていた。

 

彼が今土足で踏みつけている座先には、仕事に疲れたサラリーマンや、赤ちゃんをおんぶするママが座る席でもある。

そしてその座席は、この鉄道会社の人が責任を持って清掃して、快適になるような品質の座席にしているのである。

 

色々な人があのスペースに関わるんだなぁ、となぜか考えていた。

じゃあなおさら、注意しなきゃ。

 

「でんしゃのいすはみんながすわるところだから、くつをはいたままうえにのぼっちゃいけませんよ」

あれ、これは小学生に言うことなのかな?

 

そうだ、私が昔々、本当に小さい時、おばあちゃんと買い物にきたスーパーのレジのカウンターの上に登りたくて、そのカウンターに座った時、レジのおばさんに怒られたことがあったなぁ。

それから手頃なサイズの台があってもお外では登っちゃいけないって学んだよ

じゃあこれも注意しなきゃ、でも、いま???いまここで??

 

いっぱい考えていた。方針としては注意をしたい方針に固まってはいた。

 

じゃあ電車を降りるときに、その勢いで「靴のまま座席登っちゃダメだよ」って注意して颯爽と電車を降りよう、そうだそうしよう。

 

そう考えているうちに、いつのまにか最寄り駅についていた。

さあ降りるときに子供たちに注意を!と思ったら、その児童たちの最寄り駅も私と同じで、同時に立ち上がったのだった。

 

ああ、まじか、とおもって彼らのうしろについてホームを歩いて悶々と考えていた。

彼らはなんとなく、こちらをチラチラ見ていた怪しい女が後ろをついてきたことをなんとなく気にしていて、時々私の方を振り返りながら足早に前を進んでいる。

 

いつ言おう、言わなきゃ、言わなきゃ、と思っていたらホームから改札口に降りるエスカレーターまで来てしまい、エスカレーターで彼らのすぐうしろに乗った。彼らの後頭部をじっと見つめていた。どうしよう、どうしよう。

 

そのとき、本当に勝手に、声が出た。

 

 

 

「座席に登っちゃダメだよ」

 

 

彼らはエスカレーターを降りながら、え?という顔をしながら、私と目を合わせないように2人でヒソヒソ話している。(なんて言ってんの?というのが聞こえた)

 

「座席に靴のまま上がっちゃダメだよ」

 

と付け加えた。

その一言を言あと同時にエスカレーターは一番下までついてしまい、彼らは「え?」という顔をしながら何も言わずに足早に去っていった。振り返ることはなかったし、私の顔を見ることももちろんなかった。

 

 

ああ、言ってしまった。

 

彼らとは反対側の改札を抜け、帰路についたときはすでに心臓の鼓動に押し潰れそうになっていた。注意をする側のほうが緊張してしまった。

そしてすぐに襲ってくる後悔。

 

私なんかが注意をして、一体何様なんだろう。

私だってマナーが悪いところはいまだにいっぱいあるのに、私がいっちょまえに注意をするなんて、何様なんだろう。

もしあれが小学生じゃなくて、酔っ払いだったら、怖い大人だったら、私は注意しなかっただろう。

そもそもエスカレーターの真後ろに乗って後ろから声かけるなんて不審者でしかない。

彼らの親に通報されたらどうしよう、いや、

むしろ最近の子供は怖いから跡をつけられていたらどうしよう、バットで叩かれたらどうしよう、

 

 

まで考えた。

 

いまだに正解はわからない。

やってよかったのか、よくなかったのか。

なんでそれしきのことがその時の私は許せなかったのか。

 

いまだにいいのか悪いのかよくわからないけれど、珍しく勇気を出したので、記録として。

 

一応彼らには謝っておく。

変な人に声かけられて怖かったよね、ごめんね。

姉の新しい金持ちの彼氏が姉の元不倫相手と同じ職場の先輩

自分の価値観を他人に押し付けるのは自分勝手なことですが、

 

「あなたなら分かってくれると思って」という感情で

家族や恋人に価値観を強要してしまいました。

ひとまず恋人に対する価値観の押し付けは置いておいて、家族に対してです。

 

家族、姉に対する私の感情について。

姉が昔、職場の上司と肉体関係にあった話は書きましたが、

今はその職場を離れ、上司とは縁が切れ、新しい恋人がいるようです。しかしその恋人は不倫関係にあった上司と同じ職場の、前の職場の先輩です。それも金持ち。

 

 でも、嫌なんです。

姉の恋人は、いい人で、真面目で、お金持ちな人なのに、私はなぜか好きになれません。

はやく別れればいいのになぁと思ってしまいます。

 

 

私は、姉と仲が良く、同じ価値観で育ってきたと思っていました。

アルコール中毒で、不倫を数え切れないほどしていた父親のDVの影響もあり、多少異性関係においては潔癖なところがあるという、私と同じ価値観を持っていると思っていたのです。

しかしやはり、姉は他人です。価値観は人それぞれで、みんな違うのです。

 

だからこそ、私は姉の不倫を知った時、ショックだったのです。

姉にとっては人に言えない秘密を知ってしまった。

私ももちろん、家族に言えない秘密は沢山あります。家族にだからこそ言えることと、家族にだからこそ言えないことがあるのです。

 

でも、家族にだからこそ知られたくないことがあって

それは私にとっては性についての話で。

彼氏と私のその話は

私は嘘をついています。

 

私は、浮気性で最低な父親、夫を持つ経験をした家族の前では、常に潔癖な女でありたいと自分を偽っている。

 

浮気をする父を最低と罵る家族の前では、

数年が経った今でも

その時父がしていたであろう行為を

公然と私もしています、という痕跡を残したくない。

 

 

そういう価値観が、私にはあります。

私はだからこそ、姉の待つ家には日付を超える前には帰るようにし、

家族が留守中に、お互いの家を行き来した事実はひた隠しにし、

「まだそのような行為はない」と嘘をついている。

 

それでも私は、三年付き合ったいまの彼氏以外には経験は無いし、これからも一生そのままでありたいと思う。

誠実でいたい。嘘をつくことは誠実では無いけれど。

誠実でありたいがためにつく嘘を吐く時点でもう誠実ではなくなるなんて、なんて矛盾しているのだろう。

 

だからこそ、姉の彼氏に言いたいと思ってしまうのだ。

『姉は昔、あなたの上司と不倫していましたよ』と。

 

姉の幸せをぶち壊しても

悪いことしたあなたが悪い

私と同じ価値観を持っていると思っていた

私のエゴをおしつけて

私の大好きな姉を返して

汚い姉なんか見たくない

それなら一生不幸になれ

だって悪いことをしたのは姉なんだから

だからはやく、私のおねえちゃんとして戻ってきて。

 

 

 

でも、そんなこと、できないよね。

知らなきゃよかった。こんなこと。

こんなことくらいでこんなに苦しむなら。

 

 

ぎゅうぎゅうに押し込まれたスーツケースの中の、私ではなく小さな世界

多くの性格があるのは当たり前で。

目上の人に会うとき

昔馴染みの友達に会うとき

家族に会うとき

ひとりでいるとき

恋人といるとき

 

全部ちがう私がそこにいる。

 

だから、一番多い時間、私の場合はひとりでいる時間なんだけど、

その時の私が考えたことは、他の性格の私では共有できない。外に発信することはできない。

 

いつも元気でおちゃらけた私

楽天家で、大雑把で、明るくて、にこにこしている私

面白いことしか言わない私

女の子らしい、からは少し離れたキャラの私

 

そんな私がひとりでいるときにも同じようにしているわけないのです。

それでもそれはわたしの一部であって。

 

恋人といるときは誰よりも女の子らしくありたいし

ひとりでいるときは誰よりも物事に繊細でありたい

家族といるときは誰よりも頼もしく潔癖でありたい。

 

そんな一面があっても

女の子の顔、、、おしゃれが好きで、古着が、雑貨が、ぬいぐるみが、かわいいものが、お花が、香水が、アクセサリーが好きな私は、

 

友達の前の、がさつで面白い私にはなれないし、そんな私は友達の前で女の子らしい私にならない。

 

繊細な私、、カメラが好きで、風景が好きで、日々の暮らしを彩るものが好きで、初めて降りる駅が好きで、季節の移り変わりが好きで、美しい言葉が好きで、コーヒーが好きで、読書も好き。

 

そんな私はがさつで楽天家な私の前では消えてしまう。

 

全部全部だせればいいのに。出すことは簡単なのに。

人に合わせなきゃ、目立っちゃダメだ、僻みを買っちゃダメだと考えてしまって、私は私を日々殺している。

 

にこにこ笑顔が、むずかしい。